文化人類学徒が選ぶ、2018年面白かった本まとめ12選
あれよあれよという間に2018年も終わるが、みなさまいかがお過ごしだろうか。私は昨日からお休みに入り、1月7日までお休みなので企業で働きだしてから最長のお休みを堪能することになる。いいものだ。
というわけでまとまった時間もできたことだし、2018年に読んだ本をまとめていきたい。このまとめを参考に書評も今後書いていきたいと思う。
- 「普通」に苦しむ人に
- 辞書の壮大なロマンに惹かれる
- 「ショー」ではなく「幕間」への欲望
- 絶対的なモノがある世界とは
- 記憶とは何なのか
- 役割は人を弱らせるし、強くする
- 文化人類学を嗜もう
- 若林さん、その気持ちわかります
- 2018年もお疲れさまでした
「普通」に苦しむ人に
芥川賞・直木賞だからっていってその本を手にすることはあまりなかったのだけれど、この本は何か惹かれるものがあって読んでみた。コンビニで働く主人公が「音」を頼りに店舗内の様子を把握する描写とか、私のバイト経験を彷彿とさせる。たしかに店舗の動きを感じることができたのは聴覚によってだった気がする(自動ドアの開く音とか、タイマーが鳴る音とか)。
マニュアルというものに関しては、「非人間的だ」みたいな批判がよく寄せられるものの、マニュアルを遂行する人間にとってはそれをより正確により早く完遂できるようになるならば、その場にいる権利を得ることができるといった類のものであることも確かである。「普通」に疑問を抱いてしまう者が世間に寄り添って生きるためにはそういったマニュアルを確実にこなすことが、いちばん手っ取り早い方法なのかもしれない。
辞書の壮大なロマンに惹かれる
発売されたのは2015年で少し前だが、読んだのは今年である。『舟を編む』。三浦しをんを読み始めたのは友達が私の誕生日に『きみはポラリス』をくれたことがきっかけである。
穏やかな文体に惹かれ、他の三浦作品を読んでみようかなと思い書店を探し歩いていたところ、いちばん最初に目に入ったのが『舟を編む』であった。どこかで聞いたタイトルだったということもあったが、とりあえず内容を見ずに買ってみた。
とある出版社の辞書を作る部署に配属された会社員たちの話であるが、言葉ひとつひとつに向かいあう様が非常に参考になる。
また辞書という途方もなく巨大な敵にみんなで向かっていく様はさながら少年マンガのようで、熱い気持ちにもさせられた。
「ショー」ではなく「幕間」への欲望
たった今読んでいる本である。アヘンだのなんだのという危ない辺境にたくさん赴いている筆者が書いた本であるが、印象的な文章があった。例えばアフリカの諸国について我々がその名前を目にするのは主に紛争や政治的内紛が起きたときのみである。そのタイミングでその争いの事情に詳しくなっても、それはその国の「ショー」としての側面を知っているに過ぎないという。筆者の高野さんが惹かれるのはショーとショーの間の「幕間」である。つまり大きなイベントごとが無い時の彼らの日常である。幕間の積み重ねがショーにつながるのであり、ショーだけ理解してもそれは彼らの本当の理解には近づいていない。
絶対的なモノがある世界とは
私は特に強く信仰している宗教は無いし、これといって「これを絶対的に信じている!!」といった類のモノがない。そういう人って私だけではないと思う。それが良いのか悪いのかは別にして、精神的な支柱が無いっていうのは時々ものすごくキツいことだと思う。仕事で辛い時そういった存在にすがりたいし、何か重大な結果が運で決まるときも「これだけ善を積んできたから心配ない」みたいに思いたい。そういう不安を潰してくれるから宗教は今でも存在するんだなーと思っている。
生き方に優劣をつけることはあまりするべきではないし、他の人がどう生きているのかということは常に勉強しておく必要があるんだと思う。この本ではイスラム教は宗教というよりは「生き方」だと述べられている。まさにそうだなと思うし、実際にイスラム教徒として生きている人々の様子を描いたこの本は、生きたイスラム教の様子を教えてくれる。
記憶とは何なのか
この本に関しては以前感想を書いたことがあるので割愛するが、記憶というものは何なのか考えさせられる。
役割は人を弱らせるし、強くする
最近思うのだけど、人はひとつの役割だけでは生きられないと思っている。というか役割という存在自体、人の多様さをひとつの枠に押し込める無茶な存在だという認識は必要だと思う。例えば「私」は「男性であり、20代であり、東京出身であり、インドアであり、数学ができなくて…」という多様な属性からなる存在であるのに、会社に行くと「新入社員」というカテゴリ(=役割)を押し付けられてしまう。押し付ける側としては管理しやすいし、押し付けられる側としてもその役割のルールを守りさえすればだいぶ生きやすいので、役割を与えることがただ悪いとは言えない。
その役割を担うことで他人とつながりも生まれてくるわけだが、そのつながりが固定化してくるとなんかつまらなくなってくる。時にはカーニバルのように上下関係をひっくり返すようなイベントが欲しくなってくる。
この本でも役割について考察がされている。介護現場においては「介護する者」と「介護される者」という役割が生まれる。しかしこの関係性があまりに固定化されてしまうと、「介護される者」の力が弱まってしまう。それによって人間的なつながりが弱くなってしまうのだ。
そこで考えたのが「介護される者」が主催のイベントを開くことである(例えば思い出の味の海苔巻きを作る会、など)。これによって「介護される者」は「教える者」に、「介護する者」は「教えられる者」になる。上下関係が反転するのである。このイベントは固定化されたつながりを揺るがし、両者のつながりをより人間的なものにするのに役立っている。
うちの会社にもこういうの欲しいわぁ…
文化人類学を嗜もう
私は大学院時代、文化人類学という学問を勉強していた。教えてくれる先生全員ヤバい人(褒めてる)で、優秀な学生ではなかったがなんともエキサイティングな学問だったことを覚えている。
というわけで軽めの文化人類学本を3冊ほどご紹介したい。
ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと
- 作者: 奥野克巳
- 出版社/メーカー: 亜紀書房
- 発売日: 2018/05/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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人はみなフィールドワーカーである ――人文学のフィールドワークのすすめ
- 作者: 西井凉子
- 出版社/メーカー: 東京外国語大学出版会
- 発売日: 2014/06/25
- メディア: 単行本
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上の2冊(『ありがとうもごめんなさいも~』と『うしろめたさの人類学』)はいわゆる文化人類学って感じの本である。どっか離れた国に行って、そこに住む人々のことを知ることで、自らの文化について考え直すという算段である。
とはいえ文化人類学というのはどこでもできる。そのことを思い出させてくれるのが3冊目の『人はみなフィールドワーカーである』である。文化人類学に興味がある方はぜひ読んでみてください。
若林さん、その気持ちわかります
大学時代の先輩がある日SNS上でおススメしてたのが、オードリーの若林さんが書いた本だった。
その先輩が書く文章が大好きで、まんまと以上の3冊を買ってしまった。
なんとなく日常を生きることはできているけど、こっそり抱いた違和感だとか、ふと感じた反発心だとか、そういったものに我々は蓋をして生きている。ただそういったものを抱く頻度が多い人たち(私もだが)にとって、日常を生きるということが少しずつすんなりといかなくなってくる。
そういった人たちにとってこれらの本はおススメである。若林さんが「声高に言うほどではないけど、なんか消化しきれないモヤモヤ」みたいなものを言葉にするのがすごくお上手で、「そうそう」と頷きながら、気づけば読了してしまっていた。個人的にはキューバ旅行記である『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』はすごくおもしろかった。
2018年もお疲れさまでした
というわけで気づけば4000字を超えた記事になってしまったが、皆様が気に入った本は何だろうか。 ほかの人に自分の好きな本を紹介することは、自分の恥部を見られているな気持ちになって恥ずかしいのだが、書いてみると当時の感情を思い出すこともでき、悪くないものである。
2018年も残りわずかですが、ぜひ皆様体にお気をつけてお過ごしください。それでは。