無知をどかんと突き付けられました(『パラサイト 半地下の家族』)

梅雨ですね。とはいえ雨もあまり降っていないし、なんなら今日はただの猛暑だった。お客様先に訪問する用があり外出したが、アイスコーヒーがおいしい季節にいよいよなってきた。

緊急事態宣言も解け、徐々に経済も戻ってきている感がある。映画館もアイドリング状態ではあるが、再開した。観たかった映画が会ったので先週近くの映画館に足を運んだ。検温装置を無事通り抜け、スクリーンの前に腰を落ち着ける。もともと映画館にあまり行かない派ではあったが、なんだか相当久しぶりな気がしてしまう。

というわけでパラサイト、見てきました(以下、ネタバレあり)。

 午前9:50の回だったわけだが、終わった後には見事腹に重いしこりをこしらえたまま蕎麦をすすることになってしまった。テーマは巷で言われているように「韓国社会の貧富の差」だと思うのだが、なんというかやりきれないものを大スクリーンでどかんと見せつけられてしまった。

思ったことをとりとめもなく書いていきたい。

貧困の理由(上と下の構図)

語弊ありまくりだと思うが、便宜的に主人公家族を下、丘の上の富豪一家を上とする。「貧困」という問題について考えたとき、その原因は「上による下への搾取」とかそういったことが思いつく。ただこの映画で印象的だったのは「下同士の足の引っ張りあい」だ。

観た人は分かると思うが、富豪一家に寄生しているのは主人公家族だけではない。中盤以降我々が目の当たりにさせられるのは、彼らのマウントの取り合いであった(最終的には主人公家族の勝利で一時の落ち着きを見せる)。象徴的だな、と思ったのが、富豪一家がキャンプからやむなく帰ってくるとき、主人公家族は急いで出迎えの支度をする。急いで作ったジャージャー麺を食べている富豪の奥様に見えないように、階段を這い上がってきた女を後ろ蹴りで蹴り落とす主人公家族の母の姿である。

「上を倒せ!」ということで下が団結できるような状況ならまだしも、パラサイトではむしろ上は下を生かしてくれるものとして描かれている(寄生という形でだけど)。下同士で争うようになってしまったらこれはもうどうしようもない。今の韓国社会をどれだけ反映してるのかあまりわからないが、「上が悪い」とは一概に言えない状況なんだろうな、というのは見て取れた。

貧困の表現(匂い)

主人公家族を雇っている社長は、主人公の父の「匂い」について言及するシーンがある。彼の言葉を聞いていると感じている匂いは単純に加齢臭、というだけでもなさそうだ。思うに半地下で生きてきたこれまでの生涯、そこで身に着けた所作・生き様・思想などを「匂い」という言葉で表現されているのではないだろうか。

これってすごい残酷な表現だと思う。なんというか匂いという言葉で表現されることで、貧困は必ずしも先天的な環境のみで課されてしまうものではないけど、癖を直すほど簡単に直せるものでもないと改めて感じさせられるのである。払っても払ってもその人にまとわりつくもの、それが貧困なのかもしれない。

オススメです

あれだけの賞を取っているから今更だが、観てない方は一度観てみてもいいかもしれない。今回見たのは白黒版だったが、Prime videoでカラー版を見られるそうなので、こちらも試してみたい。ただ内容がなかなか重くのしかかってくるので、昼ご飯を食べ終わった後に見るのがオススメ。