『万引き家族』を観て、雑感

僕は別に家族と仲が良いわけではない、と思っている。人並みに反抗もしてきたと思ってる。でも「母の日にこんなこと母にしてあげた」系のツイートを見ると、特に何もしてない自分を鑑みてちょっと罪悪感に苛まれたりもする。

 

さて、僕と一緒の世帯に住むもろもろの人々は、「家族」なのだろうか?

 会社の福利厚生使って、映画観てきました。最近有名な是枝監督の『万引き家族』です。

 

是枝裕和監督 最新作『万引き家族』公式サイト

 

映画ってあまり観ません。純粋に拘束時間が長いからだ。でも時々「文化的な生活がしたい!」って思ったりするときは観たりする。今回も映画が面白くなかった場合のために、一応福利厚生使って安く観た。『グレイテスト・ショーマン』以来の映画だったわけだが、これがすごく面白かった。

 

詳しい話はネタバレなのでぼやかしながらしゃべっていくが、一言で言うと「普通の家族」ってなんだろうという話である。「あるべき家族」と言ってもいいかもしれない。

 

核家族」という言葉がある。両親と子のみの家族構成のことだ。詳しくはもう一度勉強しなおさなければならないが、おそらく存在する様々な制度はこの核家族を基準に成り立ってる。僕たちはこの核家族という単位の中で育児教育を行わなければならない。

 

これって、当たり前なのだろうか?『万引き家族』で描かれているような「家族」の形はありえないのだろうか?

 

家族を考える上で重要なのは「血」だろう。血がつながっていないものと何年同じ屋根の下に暮らしていても、それはいわゆる「家族」ではないという考え方があるだろう。僕も実際それは家族とは言いきれないと考える。それは世帯だ。

 

血がなんであれ僕はいいのだが、ひとつ思うのはあまり「家族」という概念に縛られるのもどうなのかな、ということだ。例えば家庭内の虐待問題がある。子どもが虐待を受ければ当然親は糾弾される。しかしそもそも育児って家族内だけでできるのだろうか。特に核家族となればなおさらである。育児は(おそらく)すごく大変なことで、それを家族の仕事だと定義してしまうことで、子どもの不祥事はその家族の教育がけしからんということになるだろう。それは果たして僕たちに優しい形なのだろうか。

 

なんかこういう社会的なこと言うのすごいいやなんだが、そういったことをすごく考えさせられた映画であった。一見の価値あり、である。